南イタリア⑤:ポンペイ遺跡〜古代ローマの街へタイムスリップ
南イタリア5日目。今までカプリ島やアマルフィ海岸沿いのリゾートを周遊していましたが、今日はポジターノからナポリに向かう途中に立ち寄ることのできる、ポンペイ遺跡を観光して文化的な一日にすることにしました。
ポジターノからポンペイ遺跡へは、まずバスでポジターノからソレント駅まで向かい、ソレント駅からヴェスーヴィオ周遊鉄道のナポリ行きに乗ってポンペイ遺跡前の駅で途中下車するのが一番近いです。全部で一時間半くらい。
山沿いを走るヴェスーヴィオ周遊鉄道の列車内。
各駅停車の鈍行列車で乗客の多くは観光客なのでまったりモードですが、ソレント駅では楽器を持った集団や物乞いの子供なども列車に入ってきてお金を求めてきたりします。今までリゾート地でお気楽バカンスをしていたので感じませんでしたが、これが本当の南イタリアの雰囲気なのだろうと思います。
30分ほどで、ポンペイ遺跡のマリーナ門寄りの入り口に最も近い、ポンペイ遺跡・ヴィッラ ディ ミステリPompei Scavi Villa dei Misteri に到着しました。
この駅には荷物の預かり所があるので、スーツケースなど持っている場合は預けて行くと便利です(ポンペイ遺跡ではそういったサービスはない模様)。狭い駅内を出口に向かって歩いていると、荷物預けますか?と勧誘してくる係員がいますが、それは怪しい人ではなく荷物を預けたい場合はぜひとも頼むべき人です。
我々がこの駅に到着したのは正午頃だったのですが、ポンペイ遺跡を日陰が一切期待できない真夏の真昼の炎天下に巡るとかなり厳しいことになると予想されたので(アテネのアクロポリスで経験済み)、駅前のカフェテリアでランチを食べたり飲み物を頼んだりして2〜3時間ねばり、日陰が出始めた頃にポンペイ遺跡に向かいました。ちなみにこの駅の近くの何の変哲もない(というかむしろ大衆食堂のような)カフェテリアの安いピザがとても美味しかったです。今までカプリやポジターノの高給リゾート地で食べた高いピザよりも。実は南イタリアのピザってその辺の安いもので十分美味しいのかもしれませんね。
ヴィッラ・ディ・ミステリ駅からポンペイ遺跡の入り口までの短い道のりにはお土産屋さんが並んでいましたが、特に目を引くのは帽子屋さん。確かに南イタリアにバカンスに来てついでにポンペイ遺跡に立ち寄った我々のような観光客は遺跡巡りのための帽子なんて用意してませんから、これは繁盛するはずです。そして我々も日射対策にしっかり買ってしまいました。10ユーロくらいから売っていてお買い得です。
さて、万全の日陰対策をして満を持してポンペイ遺跡に到着。入り口は現代的な美術館のような感じで、ポンペイ遺跡の熱射から逃げてきたと思われる犬が寝ています。
しかし入り口を一歩はいるとそこはもう広大な古代ローマの世界です。
火山の噴火により街ごと埋もれ、そのままの形で発掘されたポンペイ。古代ローマ都市を探索します。
入り口のマリーナ門をくぐると、アポロ神殿が見えてきます。
アポロ神殿の回りの商業用の広場、ファロ。
ファロにそびえ立つ柱に書かれている文字は、古代ローマで書かれていた文字がそのまま残っているそうです。特徴は、全て大文字なことだそうです(この時代には小文字や、言葉の区切りがなかったそうで、大文字が連なっているのだそうです)。
基本的に当時の状態そのままで放置されているポンペイですが、あまりに遺跡に対して無防備すぎるという批判もあるらしく、たまにこうして当時の彫刻などを風化から防ぐためにカバーして保護している処置も見受けられます。
ファロにあるこれらの柱の奥のスペースは、市場が開かれていた会場だそうです。
ファロの北側にあるのは、ジュピターの神殿。
ジュピター神殿の隣には、出土品の倉庫があり、遺体のコピーもおさめられています。これは寝たままの状態の人でしょうか。
火山におびえるような状況のまま死んでしまった人もいるようです。
さて、北側にファロを抜けると、普通の家や商店が並んでいたと思われる町並みになります。
似たようなスペースの家々が並んでいた住宅街でしょうか。ちょっと狭いけど、何だか現代の建て売り住宅と基本的に同じな気がしますね。
大きな台所のようなものがあります。きっと大衆食堂の調理場かなにかでしょうか。
ファロ北側にはファロの浴場もあります。お湯をはる技術は当時からとても進んでいたようです。
男性用浴場の男性像の装飾。浴場は単なる銭湯ではなくお洒落な社交場だったようです。
そしてファロ北側にはポンペイ内唯一のカフェがあります。ジェラートを食べて一休み。
さて、続いて町の南東の地域に行ってみます。こちらにはファロから円形闘技場につながるアッボンダンツァ通りという長い道路があり、住宅が連なっています。共用の井戸もあります。
アッボンダンツァ通りを南側に曲がって少し行くと、劇場群が現れます。まずはオデオン座と言われる小劇場の前の門。
門の前にある井戸の蛇口に人の顔が形どられています。
そして大劇場。
大劇場の一番上からは、回りの町の様子を見渡すことができます。
大劇場の奥には、剣闘士の宿舎が。この牢屋のような場所に閉じ込められて、日々命をかけた戦いを強いられていたのですから、ひどい話です。
劇場群の隣には、メナンドロスの家という当時の町の有力者と思われる人の家が残っていて見学できました。今まで道路沿いに並んでいた建て売り住宅のような画一的な家々とは違って広いし、当時の生活空間が残っています。丈夫にできていたのでしょうか。
部屋中に壁画が施されています。
馬小屋の前に、馬の壁画。
再びアッボンダンツァ通りに戻り、円形競技場に向かいます。
再び有力者の家と思われる大きな家があり見学できました。ここも壁画が施され、中央には三脚のライオンの調度品が。
これは神の絵でしょうか。
アッボンダンツァ通りは円形闘技場に向かう道なので、人々が余興前後に立ち寄ったと見られるガラの悪そうな(?)居酒屋や商店が並んでいます。
貴重な当時のラクガキ。きちんとカバーされて風化から守られています。
ここはまた、大衆食堂の台所でしょうか。
さて、大きな木々のある道を通って、円形競技場に向かいます。
円形競技場が現れました。
大きな闘技場です。
闘技場入り口に掲げられている文字。当時の物ですね、何か入場に際する注意事項でも書かれているのでしょうか。
そして闘技場の中へ。
広くてカメラに納まりきりません。ここで剣闘士や猛獣が戦っていたんですね。観客席には草が生えてきてしまっています。
円形闘技場の隣には大体育場という広い場所。木々が生えてきていますが、ここも剣闘士の宿舎や訓練場だったのでしょうか。
さて、闘技場も見たし、日が暮れてきたので帰ることにします。これは帰り道のアッボンダンツァ通りで見かけたこれもまた村の超有力者のお家。大きな門に広い庭でした。
以上、古代ローマのポンペイの町をじっくり散策した一日でした。ポンペイの町は、広場があり、建て売り住宅のような市民の家々があり、お金持ちの大きな家があり、居酒屋や商店があり劇場等の娯楽施設ありと、2000年以上も前の町であるにも関わらず基本的には現代の町の構造と変わらないのだなあと思いました。しかしそんな古い町の様子を丸ごと体験できるというのは、本当に貴重な遺跡だと思います。
さて、再びヴェスーヴィオ周遊鉄道に乗り、次は南イタリア最後の宿泊地、ナポリに向かいます。